面接の所感と、いざという時のための準備
絶賛転職活動中です。
さっき受けた面接は何もうまくいかなかったなという感想。
そのうまくいかなかったという感情をとりあえず書いていく。
まず準備段階で躓いていた。
課題としてjava言語で簡単な計算式を読み書きして理解するものだったが、
理解できない部分を暗記で何とかしようとして結局覚えられていないことが、
当日のテストでありありとわかった。
面接での受け答えも、骨子があるがその肉付けがふわふわしていて、
面接官の方に要約していただくような形になってしまっていた。
時間の制約がある中で端的に伝えたいというのは、自分の中で常に考えているのだがなかなかできないので、話すこと自体得意ではないなと感じた。
企業研究もままならないまま、志望した理由もうまく答えられず面接は終了した。
自分何もできてないな思った。
こう書くと具体的に何?と自分でもなるのでこれも書く。
・プログラミングに興味がある体で受けているのに、実際にjavaの勉強を「実務でどう使うんだろう」などと素人の考えで手がつかなかった。
・何件か面接が重なったので、そのことを免罪符にして少し休んでもいいかという考えから資料を読み返すことをしなかった。
・自分の転職理由を考えれば考えるほどいろんな方向に分散しまった結果、散らかったままを良しとして、意見をまとめ切れていない状態で面接に臨んでいた。
何もできてないといった割に3つしか出てきていないがとりあえずこんな感じだ。
いつもだめだったなーと思うのは一瞬で、現状を良しとして結果的に全然改善されないのでよくない。
なので具体的なものを書き出してみた。書けたのは3個だけだが。
3つが少ないか多いかはわからないが、ダメだったな、という面接の反省点が3つしかないことも含めて、物事と真摯に向き合わないといけないと危機感を募らせた。
この文章を書いたきっかけはその危機感ともう一つあった。
面接中にじいちゃんからLINEで着信があった。
着信は画像を見ようとしたら間違えて電話をかけていた、
というものだったので特段用事はないことだったが、少し話をして元気をもらった。
じいちゃんは自分の出身地の京都の田舎にいるが、今は施設で介護を受けながら生活をしている。コロナの影響で面会も遮断されているようで、コミュニケーションはLINE電話のみ。着替えを持っていくのも施設に預けるので対面では会えない状況らしい。
小さいころから少年野球をよく見に来てくれたり溌溂とした爺さんだったのだが、今はほぼ寝たきりで、一応は車椅子で移動している。自分のイメージの中では元気な姿のままなので、話を聞いたときは現実と想像上の姿の乖離に少し心が痛んだ。
先日子供が生まれたので、一回でもいいから見てもらいたいなと思う。それはいつになるのだろう。
感傷的な気分になりながらも、それでも生きているうちは自分も元気に過ごしたいし、じいちゃんから見てひ孫になる子を育てて、胸を張ってじいちゃんに合う日のためにも頑張ろうと思えた。
自分は今東京にいるので、時間的金銭的な部分でおいそれと地元の京都には帰れない。帰れないからとぼやけていると、いざという時に胸を張って帰ることができないだろう。準備せずしどろもどろになった今回の面接と同じだ。ましてや面接は日時は決まっているが、いざという時はいつ来るかわからない。
胸を張って故郷に帰れるように、じいちゃんに会えるように、日々ちゃんと生きようと思った。